「点字楽譜に挑戦」
堀切艶子
「中途視覚障害者にも点字を読むことができます。」と、ラジオからの呼びかけが
きっかけで、2007年1月、私は点字を習い始めました。中途視覚障害者には
点字を読むことができないと、ずっと思い込んでいました。それなのに点字教室を
訪ねるとすぐ「点字楽譜を読みたいです。」と申し出ていました。
私は学生時代にマンドリンクラブでマンドリンを弾いていました。1991年、
イタリアへ旅行し、フィレンツェでマンドリンより低い音色のマンドラの楽器を手に
入れたことから演奏を再開しました。網膜色素変性症を発症してはいても、まだ充分な
視力と視野が残っていた時です。
しかし病気は進行します。最初はグループのメンバーと同じ楽譜を読むことが
できていましたが、視力が落ちるのに合わせて、楽譜を拡大し、濃くしました。
更に視力が落ちると、いっしょに合奏するメンバーが油性インクで大きく楽譜を
書き直してくれました。全く視力を失ってからは録音してくれたテープを聴き、
暗譜すればマンドラを弾くことはできていました。
演奏会の時には、私だけが前に楽譜がない状態ですから、まるでソリストのように
マンドラを弾いているのです。
そんな時に、点字を読むことができるかもしれないと知ったのです。暗譜することは
別に苦ではありませんでしたが、テープを聴いただけでは知りえない楽譜の情報を全て
知りたいのです。音符の長さ、休符の長さ、装飾音符、スラー、♯、♭など。点字楽譜を読むことができれば、それらが普通の楽譜で弾いている人と同じようにわかるのです。
嬉しい気持ちいっぱいで点字を習い始めましたが、いきなり点字楽譜を読めるわけが
ありません。点字を習い始めて二年。その次の年に、所属するグループの演奏会が
迫っていました。演奏会の曲はテンポの速い曲、難しい曲があり、すぐにでも点字楽譜を読みたい気持ちでした。まだ点字の文章でさえ読むのに時間がかかっていた時です。
それでも、たどたどしい読みしかできない私に、先生は点字楽譜の個人レッスンを
始めてくれたのです。
「p.lacome作曲 no.2 andalouse」が最初に読んだ極です。
テープを聴くだけでは弾くことのできなかったテンポの速い、難しい曲です。楽譜を点訳してくれた方がメロディーだけの楽譜も合わせて点訳してくれました。これが私に
「点字楽譜も読めるのでは。」と、やる気にさせてくれました。細かい動きの
十六部音符が続くのも、十六部休符も読み取れます。装飾音符も読むことができます。
一つ一つ鮮明になっていきます。堂々と大きな音で弾くことができます。少し誤魔化して弾いていた所も自信を持って弾くことができます。もちろん点字楽譜を読むことが
できるといっても、まだゆっくりゆっくりでないと読むことができません。それでも
あいまいに弾いていた所が、鮮明になった快感は胸のつかえが取れた時のようです。
同じグループの者にも私の存在は刺激を与えています。
「中野二郎編曲 浜辺の唄」はグループの者も暗譜で弾いてくれるようになりました。
この前の演奏会には楽譜を点訳してくれた方も聴きに来てくれ、この「浜辺の唄」の
演奏に涙が出るほど感動したと言って頂きました。
点字楽譜は読むのに苦労すると言われますが、それを点訳するのは一点でも間違えれば違う音になってしまうので、気の抜けない骨の折れる作業と聞きます。私ひとりのために
楽譜を点訳頂くわけですから、ほんとうに感謝しています。
来年は演奏会が開かれる年です。またまた難曲が準備されているようです。
しかし今の私は点字楽譜を、ほんの少しかじっただけですが、強い強い味方を持った気がしています。どんなに難曲でも楽譜を読むことができるのです。
目の見えないマンドラーは世界に私だけだと胸を張って弾きたいと
思っています。
世界共通の点字楽譜をしっかり身に付け、自信を持ってマンドラを弾きます。
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